大正5年     初代・野々山銀一が東京の神田・美土代町にて創業。
大正12年 神田・神保町に営業を移す。
その直後、関東大震災に遭い全焼するが直ちに復興。
昭和20年 第二次世界大戦で全焼するが直ちに復興。


(初代社長はヒゲの創業者だった。また、お酒が大変好きな社長でもあった。)
昭和32年 初代社長が55歳の時、自ら定年宣言をし易者になったため、二代目・野々山恭男が跡を継ぎ、会社組織に改め、有限会社 野々山製本所を設立。
昭和36年 文京区小石川に工場を移転、機械化を計り、大量生産体制を確立。
昭和38年 板橋区本町に約330平方メートルの工場を増設。
業界の先駆となる中綴製本・無線綴製本の両設備を同時に設置、稼動。
昭和42年 小石川工場と板橋工場を合併し、北区浮間の新工場に移転。
総敷地面積2400平方メートルの工場内に製本工程の一貫生産体制を確立。
昭和58年 板橋区舟渡に最新鋭施設を装備した敷面積1500平方メートルに無線綴工場3階建の新工場を増設。
昭和60年 板橋区舟渡の新工場を延床面積で約2倍(延床面積3000平方メートル)の4階建て社屋に増設。
北区浮間工場の断裁・折・中綴製本部門を新工場に移転。


(二代目社長はジェントルマンで業界関係者から大変信頼の厚い社長だった。)
平成3年 二代目社長急逝により当時34歳だった現社長三代目・野々山恭由が業務を引き継ぐ。はじめは一人何役もこなしてきた社長であったが、二年後過労のため入院。これを機に危機感をもった社員が率先してリーダーシップを発揮するようになり、現在の安定した組織となる。
平成7年 「次世代育成計画」により社員の平均年齢がグッと若返るとともに、一日に75万冊を製本できる設備、人員を兼ね備えた東京都内屈指の製本会社となり、現在に至る。


(三代目はユーモアと元気いっぱいの社長である。)
ここまで規模が大きくなったにもかかわらず有限会社であり続けるのは、三代目が社長に就任した時にたてた「日本一の有限会社になる」という目標にこだわっているかららしい???
好きな食べ物は「ケチャップのオムライス」。デミグラスソースではダメらしい???
好きな動物はウサギ???